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カテゴリー「登山 」の記事一覧

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利尻富士、礼文島  前田角藏

2011年6月21日~24日 

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この夏、北海道の百名山を集中して登る計画を立て、まずはじめがこの利尻富士と礼文島である。一日目は、朝、車で羽田まで行き、そこで航空券をわたされ、稚内空港に向かう。ガイドの方のサービスで最北端の宗谷岬に行った。あいにく樺太は見えなかった。昼すぎから船で利尻にわたる。市内から見えた利尻は雲に隠れてみえない。着く寸前、やっと姿が見える。その日は利尻富士温泉に泊まる。22日の朝、四時半から行動。まず、姫沼に立ち寄った。幻想的な湖だ。登山は、利尻北麓野営場から登った。甘露泉、長官山を経て、やっと頂上が見えた。昼頃やっと登頂。ついにあこがれていた山にきた。近くに礼文島が見える。風が強く頂上は寒い。下山開始し、歩程14キロで13時間かかりの登山だ。夜六時頃旅館に到着。夕食にでたバウンウニがとてもおいしかった。むろん生ビールも最高であった。23日は、礼文島に船で向かう。礼文島の代表的なお花畑を堪能するとともに、アツモリソウの群生地にもいった。季節が少しずれているので、このアツモリソウを見ることができ、とてもラッキーだったと思う。利尻富士温泉に泊まり、翌日は 稚内市街を探索しながら、昼すぎ羽田に到着した。二島の印象はいずれも風が強いということだ。ここでは人もむろんだが、食物もなかなか育ちにくい。実際、野菜はものすごく高い。ただ、寒くて風が強いので、本州では3000メートル級の高い山でしか見られない高山植物に低山で出会うこともできる。

 

 
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トムラウシ   前田角藏

2011年7月20日~24日

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トムラウシ登山は、利尻と同様、ツアーでいく。十五人前後のツアーで関東周辺からの参加が多い。往く前から超難関と妻から脅されていたのでいささか緊張。ツアーは「歩き応え満点のロングコース神々の遊ぶ庭 トムラウシ山」とある。歩程20キロ、13時間の登山なのにこの商業的なキャチフレーズには恐れ入る。一日目は、羽田から新千歳空港へ飛び、トムラウシ温泉で泊まる。熊も出てくる秘境の温泉地である。二日目、東大雪荘を四時頃に出て、ぐちょぐちょの悪路を歩き続ける。こんなにつづく悪路はそうはなく、まったくタフな登山である。一時間してカムイ天上につく。大雪や十勝が見える。ダテ樺帯や雪渓などをのぼっていくとやっとトムラウシ山が見えてくる。途中、あまり書かれていないお花畑があり、ガレ場を登っていくと頂上に着いた。六時間くらいかかっただろうか。ともかくもハードな山である。お花畑がないと途中で投げ出したくなるような山である。ただ、頂上が見え始めると山容はきれいで、飽きがこない山でもある。大雪も十勝もまる見えのすばらしい展望がある。二日目はクールダウンで、地元の白雲山に登る。この山は1187メートルの低山だが、然別湖(シカリベツコ)がまる見えのすばらしい山で、熊が出るのに地元の人は平気で登山を楽しんでいる。ホテル風水で食事。ここで思い切り熱い味噌汁をかぶせられ、やけど寸前であった。新千歳から羽田に夜10時に着いた。

 

幌尻岳   前田角藏

・2011年8月21~23日   【幌尻岳】

 この山もトムラウシ山と同じく厳しいと妻から聞いていた。妻は沢渡りのあるこの登山を最大の登山として位置づけているらしい。田舎育ちの僕は沢渡りはそれほど恐怖ではないが、胴辺りまでつかるというので内心いやな山だなと思っていた。このコースもツアーで「日高山脈最高峰幌尻岳」となっている。幌尻は2052メートルの山である。ここまでのルートは最近ではいろいろ出来ているようだが、なんといっても五十回ほどの川渡りがある沢登りコースがいいらしい。横須賀さんのガイドの予定だったが、ちがった。男のガイドであった。羽田から新千歳空港に行き、とよぬか山荘で余計なものはあずかってもらい、バスで登山口に向かい、五十回ほどの川渡りを繰り返しながら、夕方六時頃、幌尻山荘につく。ガイドの用意した夕食を食べる。まあお腹がすいているのでなんでもおいしい。鹿の肉をだしてくれたりした。二日目、朝六時発。頂上に11時に到着、パンなど持参した昼食を食べ、三時頃、幌尻山荘につく。三日目は朝、七時出発。また五十回ほどの川渡りを繰り返しながらとよぬか山荘に到着。平取温泉でゆっくり二日分の垢をとり、八時に羽田空港に帰った。妻は最大の登山を乗り切り、本当にほっとしたようであった。帰ってビールで乾杯。

 

羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳   前田角藏

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     2 011年9月25~28日   【羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳】

今年最後の北海道ツアーである。全体的にはすべての山が登れて本当にラッキーなツアーであった。このツアーも夫婦でありながら、男と女と別々に分かれて泊まった。最初はいやだなあと思っていたが、なかなかいいツアーであった。
朝九時、羽田から釧路空港にいき、一路、知床半島の西側にあるホテル「地の涯」に向かう。ホテルよりより北にあるオシンイシン?の滝を見学する。ガイドは有名な横須賀さんであった。次の日は朝、五時半に起き、羅臼岳に向かう。緩やかな斜面を登り、熊が出没するというところをこわごわ通り抜け、羅臼平まで登る。うっすらと国後の高い山が雲の上に見える。天気であればはっきり国後がみえるという。お花畑はもう花の盛りをすぎていた。岩の瓦礫のつづく場所がおおく、はうようにのぼりつめていくと頂上についた。11時である。写真をとり、ゆっくり眺望を味わいながら昼食をとる。羅臼岳は1661メートルの山だが、武田の「ひかりごけ」に関心のある僕は一度はこの羅臼に来ててみたかったので感無量であった。途中、樺太鱒の遡上する川に立ち寄ってくれて、この遡上の光景を目にしたのも大変、有意義であった。5時頃、ホテルグランディア知床斜里駅前につき、泊まる。夕食はバスで、「さとみ」という海鮮炭火焼きの店に行き、大変おいしいものをたべた。山に登っているのに、温泉に泊まり、おいしいものを食べているので少しもやせない。二日目は五時半に出発、バスで斜里岳中腹にある清岳荘に向かう。ここも幌尻岳ではないが、軽い川渡りがあり、いろいろな滝を見ながら、馬の背にでたところでは、またもや雲の上に国後の高い山陰を望むことができた。斜里岳(1545メートル)の頂上はすばらしく特に眼下に見える斜里町とどこまでも続く平野は、圧巻であった。多喜二の「防雪林」、これは石狩平野であるがなかなかイメージとしてつかめなかったが、このいただきに来て初めてわかったような気がした。これだけでも意味があった。バスで阿寒湖の方に向かい、その近くの秘湯野中温泉別館で泊まる。三日目は、朝八時に出発、九時から雌阿寒岳の登山開始。ガレ場つづくコースであるが、活火山であり、火山でできた山の山容は九州の韓国岳を思い出し、懐かしかった。火山でできた山の醍醐味もまた味わうことができた。火山湖の青沼は新燃岳の今はもうなくなった泉の面を想起させてくれた。下山はオンネトーへとおり、バスで市内のホテルに向かい、入浴して空港に向かった。羽田には、10時過ぎに着いた。反対側に駐車場があったのでうろうろしている間に時間が過ぎ家についたのは12時頃であった。妻とビールで乾杯。

秩父 宝登山 鑞梅   前田角藏

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一月十八日 秩父宝登山に行ってきました。長瀞にある低山ですが、ろ
うばいで有名らしく観光客もかなりきていました。秩父は寒い時の夜祭り
と秩父困民党で有名でもありますが、ケーブルにも乗らず歩いて1時間
で登れる山で、秩父の街が眼下に見え、西には甲信岳も遠望できます。



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プロフィール

HN:
前田角藏
年齢:
80
性別:
男性
誕生日:
1944/05/13
職業:
自由業
趣味:
登山、旅、野球
自己紹介:
妻と百名山をめざしています。近代文学を研究。「試想」という雑誌を発行しています。そちらも暇なときお立ち寄りください。
専攻分野は、近代文学史 新感覚派及びプロレタリア文学 戦後文学 国語教育です。
また、 所属学会は、 日本文学協会会員   法政大学国文学会会員 日本社会文学会会員  昭和文学会会会員 日本近代文学会会員などです。
なお、著書としては、

1 『講座 現在の文学教育』 共著 昭和59 新光閣書店
2 虚構の中のアイデンティティー日本プロレタリア文学研究序説ー
 単著 平成元 年9 月  法政大学出版局
3 文学の中の他者ーー共存の深みへ 単著 平成10年9月 菁柿堂
4 「<新しい作品 論>へ、<新しい教材論>へ」 共著 平成11 年7月 右文書院 第5巻 石牟礼道子 「苦海浄土(もう一遍人間に)ーー「往 生できない魂との対話ー」
 
5 小田切秀雄全集 共著 平成12 年7月 勉誠出版
別巻「追想の小田切秀雄」 小田切秀雄先生の思い出
6 川端康成『伊豆 の踊子』作品論集 共著 平成13年1月 クレス出版 「踊子の〈闇〉への封印ーー「伊豆の踊子 」論ーー

7 中島敦『山月記』作品論集 共著 平成13 年10月    クレス出版 「 自我幻想の裁きーー「山月記」論
8小田切秀雄研究 共著 平成13年 10月 菁柿堂
小田切秀雄小考
9中西伊之助著『戯曲 武左衛門一揆』「解説」(新・プロレ タリア文学精選集6) 共著 平成16年 6月 ゆまに書房
10松永健哉著『民族の母』 「解説」共著 平成16年10月    ゆまに書房    11  貧困・格差への怒り 共著 平成20年3 月 冬至書房 小林多喜二の『防雪林』

論文*    

1 関東大震火災と文学 ー 震災テロルとプロレタリア文学ー ○ 昭和54年 6月 『日本文学』 日本文学協会 第28巻第6 P75-96

2 平林初之輔試論ー震災前 後の平林の動向ー ○ 昭和55年11月 『日本文学』 日本文学協会 第29巻第11
P41-52

3 多喜二と田口タキーその愛をめぐっての一試論ー ○ 昭和56年 4月『日本文学』 日本文学協会 第30巻第4P64-77

4 小島勗論ノート ○ 昭和56年7月 『日本文学』 日本文学協会第30巻第7 P98-114

5 外地移住者としての多喜二ー屈辱感からの脱出ー ○ 昭和57年3月 『日本文学』日本文学協会 第31巻第3 P76-86
6 日中戦争期の火野葦平ー兵隊三部作を中心としてー ○ 昭和58年 『日本文学』 1月、3 月 日本文学協会第32巻第1、3 P29-36 P18-25
7 『こころ』の授業 ○ 昭和59年8月 『日本文学』 日本文学協会 第33巻第8 P40-50

8 宮崎夢柳論ー『鬼啾啾』を中心としてー 昭和59年10月 1号 『近代文学研究』 日文協近代部会 P15-27
9 『党生活者』論ー異常空間からのメッセージー ○ 昭和61年10月 『日本文学』日本文学協会 第35巻 第10号 P33-45
10 「淫売婦」の世界 昭和62年8月 『 近代文学研究4号 日文協近部会 P22-53
11 プロレタリア文学研究への一視点 ー「思想、倫理の解釈」学からの脱出をめざしてー 昭和62年12月 『日本文学』日本文学協会第 36巻第12号P64-65
12 プロレタリア文学研究への一視座 昭和63年5月『文学時標』文学時標社
13 研究動向ー青野季吉 昭和63年8月 『昭和文学研究』 第17集 昭和文学会 P92-95
14 「空想家とシナリオ」論 ー戦中期の〈虚構〉の苦 悩ー 昭和63年8月 『近代文学研究 第5日文協近代部会
号 P19-34
15 「セメント樽の中の手紙」 論 ○ 昭和63年10月『日本文学』日 本文学協会 第37巻第10 P26-35

16 浮遊する主体の方向 ー「皮膚」「肉体」の発見と しての「上海」ー ○ 平成元 年1月 『日本文学』日本文学協会第
38巻第1号 P57-71
17 「ひかりごけ」論ー〈天皇制下の食人劇〉の行方ー 平成2年10 月『近代文学研究』
7号日文協近代部会 P39-54
18 踊子の〈闇〉への封印ー「伊豆の踊子」論 平成4年3月 『日本文学誌要』45号 法政国文学会P53-68
19 「深夜の酒宴」論 ○ 平成5年2月 『昭和文学研究』26集 昭和文学会P90-100
20 「書かれざる一章」論 ○ 平成5年4月 『近代文学研究』10号 日文協近代部会P17-27
21 「宙に浮くK像への批評」ー「こゝろ」論ノート ○ 平成5 年5月 『日本文学』日本文学協会42巻第5号P76-84
22 「自我幻想の裁き」 ー「山月記」論ー ○ 平成5年 10  『国語と国文学 東大国語国文学 第70巻第10P42-54
23 主体性と他者ーー終戦直後の文学論争と現在の〈日本〉ーー ○ 平成7年 11月 『日本文学』日本文学協会 第44巻第11号 P22-34
24 「羅生門」論ーー老婆の視座からー ○ 平成8年2月 『日本文学』 日本文学協会 第45巻第2号 P29-41
25 教材としての「檸檬」 平成8年3月 『教育紀要』7号 錦城学園 P7-26
26 『白痴』論 平成9 年7月『日本文学誌要』56号 法政国文学会 P12-25
27 農場という空間ーー「カインの末裔」論 ○ 平成9年 12月 『近代文学研究』 第15号 日文協近代部会 P25-3
28 孤独の差異を生きる男と女の物語--「雪国」論 平成10年5 月 『国語教育研究 創刊号 錦城学
園国語科有志 P66-80
29 自我の複数性と近代文学史の転換ー「文学・関係学」試論その一 平成13 年10月 同人雑誌『試想 創刊号 p54-70
30 「帝国」意識と文学 平成14年3月 『日本文学誌要』第65号 法政大学国文会p15-27
31 「村の家」論 ー「帝国」の文化の「罠」あるいは〈個人〉誕生の物語- ○ 平成14 年5 月 『近代文学研究 第19号 P37ー54


32、転向論のための素描 平成15年2 月同人雑誌『試想』第2号 P1ー16
33、関係の劇を読むとはどういうことか 平成15年2月 同人雑誌『試想』第2号P72ー85
34、意識の劇から関係の劇へ ○ 平成15年1月 『社会文学』第18号 日本社会文学会、P 6ー107
35、ファシズムと文学-〈いま・ここ〉の豊かな関係性 の構築をめざして- 平成16年8月『試想』第3号
P41ー55
36、武者小路実篤と「新 しき村」 平成17年6 月 宮崎大学地域文化研究会月報第5号

37、新しい読みの技法ーー 二項対立的思考から多項選択的思考へーー 平成17年11月『試想』第4号 P42-57
38、「ヴィヨンの妻」論 ○ 平成18年3月 『近代文学研究』第23号 P17-31
39、森鴎外『安井夫人』小考 平成18年3 月 『地域文化研究 第1号 P45-54
40、日向「新しき村」の今日的意味 平成18年3月 宮崎大学教育文化学部「みやざき学」同研究チーム 研究報告書
41、漱石、鴎外そして文学研究ーーポストモダンへ の道
平成19年 3月『試想』第5号P68-89
42、「走れメロス」の世界ーー今日的な教材の可能性を求めてーー 平成 19 年5月 宮崎大学教育文化学部教育学研究科平成18年度 現職教員研セミナー報 書』P11-15
43、「山路を登りながら、こう考えた。」漱石「草枕二百十日」発表100年記念連続講演会講演録 平成19年8月 漱石「草枕二百十日」発表 100年記念事業実行委員会 P80-97
44「大造爺さんと雁」論ーー新しい教材としての可 能性を求めてーー 平成20年 5月『地域文化研究』2号 宮崎 域文化研究会 P21-30
45、『破戒』をどう読むか 平成20年6月 『試想』第6
P1-36
46、「走れメロス」論ーー「赤面」するメロスと少女の緋マントの意味ーー 平成20 年6月 『試想』第6 P88-102
47太宰治「碧眼托鉢」 平成21年 6月『太宰治研究第 17 号P 242-249和泉書院
48「文学的価値=〈関係の豊かさ〉」論覚書ーー読みをめぐる原理論的問いかけー」 平成22年 7月 『試想』第7 P53-68

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