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最終講義のことなど    前田角藏


最終講義を昨日やりました。一応、こんな感じです。

  最終講義  「文学史のことなど」    国語教育講座  前田角藏
                   2010/2 /19 406  16:00ー
                                        
 【はじめに】 全共闘世代と「私」 参照 「the flag」( 作詞:小田和正)

ただ 若かったから それだけのことかな
あの頃僕らは 傷つけ合っていた

汚れなき想いと 譲れない誇りと
迷いのない心は どこへ行ったのだろう

あの時掲げた 僕らの旗だけが
今も揺れている 時の風の中で

それからの 僕らに 何があったのだろう
変わってしまったのは 僕らの方なんだ

自由な翼を 僕らは たたんで
二度と そこから 飛び立つことはなかった

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

僕らが この手で すべてを

ここから 行くべき その道は どこかと
できるなら もう一度 捜さないか
戦える僕らの武器は 今 何かと
それを見つけて ここへ並ばないか

僕は諦めない 誰か 聞いて いるか
僕は ここにいる 誰か そばにいるか

やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね

あの時掲げた 僕らの旗だけが
一人揺れている 時の風の中で

・研究者の世界から高校の現場へ             

 【Ⅰ】 文学教育のこと 
 ①浮浪者襲撃事件と「羅生門」
    ・「羅生門」・・・下人の心理の変化 エゴイズム ・浮浪者襲撃事件
  ・悪の問題に国語教師としてどう向かい合うか
    ・老婆の視点からテクストを読み直す試み
   
 ②登校拒否生徒、神戸少年殺人事件と梶井基次郎(1901-1932)「檸檬」
  ・主人公「私」・・・心の病    「不吉な塊」を読み直す
  
 ③文学を教えようとしたのではない 文学を通して生徒と話し合おうとした
 
 ④ 読者中心の読み 主人公中心主義の克服 私小説的読みの克服 語り手論 他者論

  【Ⅱ】 文学史のこと 
   ①森鷗外「舞姫」中心の近代日本文学史   ・・・近代的自我の覚醒と挫折・・・太田豊太郎が立身出世のためにエリスを捨てる物語・・ 〈政治=悪 恋愛=善 〉の二項対立思考の誕生   国家の問題の欠落・・・外部、他者(戦争、植民地の問題欠落)

   ②新しい文学史へ ・・・研究同人「試想」(http://shisou.michikusa.jp/
 
  【Ⅲ】授業でめざしたもの・・・・新しい作品の読みと文学史そして文学教育
  ・・〈世界でたった一つだけの授業へ〉・・・夢

  【Ⅳ】 宮崎と「私」
   ①教えられたこと・・・狭い視点から世界を見ていた・・すばらしい作家や作             品、自然との出会い
   ② すばらしい人との出会いと期待 

  ③充実した10年間に感謝   ありがとうございました  

何も動員したりしばりをかけたわけではないのに多くの学生、卒業生が参加してくれてとても感動しました。貴重な寄せ書きやお花もありがたいことでした。貴重な時間をさいてきていただいた先生方にも感謝いたします。     (前田角藏)

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後藤康二氏を悼む

「試想」の会の一人であった後藤康二氏が去年の十一月二十九日に亡くなりました。宮城の千葉さんから訃報を教えてもらいました。八、九日に社会文学会の大会があり、その時、後藤氏と久しぶりにあえるだろうと期待していたのですが、欠席だったので、大分、治療がうまくいっていないのかなとは思いましたが、まさかこんなに早く旅立つとは思ってもいませんでした。福島から帰り、高口智史氏に話して、一度、見舞いに行かなければと相談していたので、予想外に早く逝ったので本当に残念でなりません。その後、十二月十七日に小生と高口氏と峯村康広の三人で福島の自宅にお伺いし、お参りをしてきました。
奥さんにもガンで苦しんでいる姿を見せずに気丈に振る舞っていたようで、実際、亡くなる前日にとったという写真にはいつもの後藤康二らしい姿で映っていました。東北人なのかどうかはわからないが、大変な病気を全身に背負っていても、たんたんとごくなんでもないように病気のことをわれわれに話していたので、本当にこんなに早く逝くとはやはり信じられないし、今、小生の脳裏にはあのいつもぼくとつと話す後藤氏の姿が浮かびます。実際、話すと熱弁家で、試想の会の合宿(大体鴎外記念館)では朝明けまで議論し、その中心にかれがいました。もうそういう後藤氏と会えないのだなあと思うと本当に哀しみがこみ上げてきます。優秀な研究者であっただけに、会の喪失感は言葉に言い表せません。ただただ氏のご冥福を祈るばかりです。 後藤さん、さようなら。
(前田角藏)

城崎、大山、石見銀山



 ・ 2 012年7月2~4日   【城崎、大山、石見銀山】

  少し欲張りな行程で、最初からハードな旅であった。百名山登山も西の方では大山だけを残すだけになったので、今年中には登っておきたかったし、いくからには興味あるところにも立ち寄りたかった。そこで、城崎から砂丘、大山登山、出雲大社、石見銀山といういう欲張りな計画になった。しかもこの行程をすべて車でというものであり、妻にも途中で運転してもらってなんとか成功した。朝四時に自宅を出て、東名で西下した。午後二時過ぎには城崎の宿についた。ゆったりとした川はヨットの競技ができるほどであり、
町中の例の「城崎にて」の鼠を追い回す堀川は風情あふれる川であった。文学記念館に入り、また、城崎の夜の温泉風景を楽しむ予定であったが、夕食ですっかり酔ってしまい二人とも疲れもあって寝てしまった。何件もの温泉をめぐって歩くこともできなかった。翌朝は雨なので、途中、砂丘によって少し眺めただけで、すぐ、大山登山に挑戦した。登山口にいって登ろうとしたらすごく雨が降ってきたので、登山を断念、石見銀山にむかった。三時間ほどで石見銀山に着き、資料センターから銀山で栄えた熊谷家住宅を見学、いわば当時の賑やかさを保存した商家の町並みを堪能した。まだ、ツアー以外の見学者は坑道に入れることができず、残念だったが、当時の賑やかさは十分、想像することができた。これから公害の問題も含め、いろいろ深くこの銀山は検証されていくだろうと思う。米子の皆生温泉に泊まる。翌朝は天候もそれなりに回復、大山の登山に挑戦した。四時間半ほどの山でそれほどきつくなく、セミの声に励まされて一気に登った。ブナの立派な山で、東北の山に登っているのではないかと錯覚するほどであった。曇っていて眺望はよくなく、瞬間的に街並が見える程度で、ゆっくり日本海を味会うこともできなかったのは残念であった。ただ、時任謙作の「暗夜行路」の最終場面を想像しながらのぼったので、それなりに満足した登山であった。 下山して泊まった温泉で汗を流し、帰途についた。夜の一時過ぎに東京についた。たしかにハードな旅であったが、充実した旅であった。(前田角藏)
 

中国の福州大学にきています

皆様、お元気ですか。小生、縁あって福建省の福州大学に客員教授としてきています。二月十日に福州に入りましたが、この日からずっと寒くて寒くて予想がはずれ少しびっくりしています。ご存じのとおり、小生は南国宮崎大学に十年もいましたが、緯度的に福州はもっと南だからもっと暖かいだろうと思ってきたのがそもそも誤りでした。とっても寒いところで、そうですね。東京都あまりかわらないですね。これからの気候についてはわかりませんが、まあ寒い。後、困っているのは、言葉がしゃべれないということです。前任者の沓掛先生はニイハオとシェイシェイとしゃべれば十分です。学生は日本語ぺら゜へらですからというので、やってきましたが、たしかに学生はよく出来ますし、真面目でとっても親切ですが、買い物などやはり困りますね。こちらも日本のようにレジでお金払うだけというところが多いのですが、それでも袋はいらないですかとか小銭ありませんかとか、野菜はグラムで測ってから購入するので、やり直してくださいとかなんとかいわれても、こちらは何を言っているのか想像がつかず、アホみたいにぽかんとしているしかありません。そうするとむこうで勝手にやってくれています。まあそういう調子で、言葉をにわかに学習しているところです。学生にレクチャーしてもらっているところです。少し、中国語につよくなって帰ろうとおもっているしだいです。こちらでしかできないこと、研究、短いけどまあどん欲にやる予定です。中国にきてわかったことはここでは案外民主的であるということです。基本的に授業で何をいってもいいし、まあネットも基本的には自由ですね。僕は毎日、日本のネット見ています。僕のアドレスももとのままですから、当たり前にメールもとどきます。二十年前、息子とここ中国にきたことありますが、かなり変わりましたね。日本とほとんどかわりませんね。ではまた。

映画「剱岳」を観る 

映画「剱岳」を観る   前田角藏

待ちに待った新田次郎原作の映画「剱岳 点の記」をみました。
 何年か前に、三角点が剱岳頂上に設置され、GPSで標高をはかったところ、明治40年に陸軍参謀本部陸地測量部がはかった標高となんとほとんど違わなかったというニユースを聞いたことがあります。映画はこの明治40年、剱岳の初測量・初登頂にかけた男たちの物語です。
 今でも「剱岳」はかなり危険な山で、かにの横ばいといわれる岩壁の渡りはたとえチェンがあったとしても下を見れば、四、五百メートルあるかどうかの絶壁で失神してしまうような難所です。当時は、むろんそんなものはなく、初登頂はどれほど大変なことだがわかります。陸軍参謀本部陸地測量部柴崎芳太郎のほか案内人宇治長治郎ら七人でこの頂上に挑んでいきます。この登頂・測量には陸軍の威信がかかっており、日本山岳会に遅れをとってはならず、また、地元の山岳信仰との戦いでもありました。周知のように立山は山岳信仰のメッカで、登頂などはもってのほかでした。この入ってはならない聖域に測量部と山岳会は挑んだことになります。メディアはどっちが早く登頂するかあおります。軍の精神力か山岳会の近代装備による勝利かというおひれをつけて騒ぎ立てます。両者はともに互いを意識しつつ、最終的には、威信とか初登頂という名誉などと無縁に仕事・・・人の生きる定点そのものを定める測量の仕事の意味に忠実にいきようとする・・をする柴崎の方が初登頂に成功しますが、映画は、初登頂競争よりも、お互いがお互いを認め合うところに力点をおいていて、たとえば、遅れをとった形の山岳部は、測量部に心からの祝福のエールを旗信号で伝え、また、測量部の方も、次に登頂した山岳会におごることなく、心からの祝福の旗信号を送ります。これはこの映画の感動的な場面の一つです。いのちをかける3000メートル級の山では、最初は競争していても、やがては、お互い尊敬し合い、助け合い、たたえあうという広い心、精神を育てていくものなのですね。
 ところで、柴崎らは初登頂ではなく、1000年も前に修験者が登っていたという驚くべき事実にぶつかります。頂上には、あるはずのない修験者の錫杖が残されていたのでした。柴崎らは100キロ前後の三角点の標識も設置することができなかったし、また、こういうこともあり、陸軍は剱岳に挑戦した軍の足跡そのものも消そうとしたりします。しかし、小島鳥水ら山岳会は、彼らの登頂を初登頂として認め、記録したのでした。「点の記」はないけれども、柴崎らの業績はそうたたえられ、今日にまで伝えられたのでした。
 映画はこの登頂にかけた群像をていねいに描いていて、映像も気をてらうようなものはなく、感じのいいものでした。柴崎という一人の男の物語に収斂することなく、多くの人によって成し遂げられた偉大な「剱岳」登頂をめぐる一つのドキュメントとして仕上げられています。大変好感のもてる映画です。
 もう一度、剱に挑戦したいかって?いや、もう登りたくはありませんね。ただ、ぼっとコーヒーでも飲みながら近くであきるまで剱を眺めていたいな。もう一度。
(2009年06月 前田角藏)

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プロフィール

HN:
前田角藏
年齢:
80
性別:
男性
誕生日:
1944/05/13
職業:
自由業
趣味:
登山、旅、野球
自己紹介:
妻と百名山をめざしています。近代文学を研究。「試想」という雑誌を発行しています。そちらも暇なときお立ち寄りください。
専攻分野は、近代文学史 新感覚派及びプロレタリア文学 戦後文学 国語教育です。
また、 所属学会は、 日本文学協会会員   法政大学国文学会会員 日本社会文学会会員  昭和文学会会会員 日本近代文学会会員などです。
なお、著書としては、

1 『講座 現在の文学教育』 共著 昭和59 新光閣書店
2 虚構の中のアイデンティティー日本プロレタリア文学研究序説ー
 単著 平成元 年9 月  法政大学出版局
3 文学の中の他者ーー共存の深みへ 単著 平成10年9月 菁柿堂
4 「<新しい作品 論>へ、<新しい教材論>へ」 共著 平成11 年7月 右文書院 第5巻 石牟礼道子 「苦海浄土(もう一遍人間に)ーー「往 生できない魂との対話ー」
 
5 小田切秀雄全集 共著 平成12 年7月 勉誠出版
別巻「追想の小田切秀雄」 小田切秀雄先生の思い出
6 川端康成『伊豆 の踊子』作品論集 共著 平成13年1月 クレス出版 「踊子の〈闇〉への封印ーー「伊豆の踊子 」論ーー

7 中島敦『山月記』作品論集 共著 平成13 年10月    クレス出版 「 自我幻想の裁きーー「山月記」論
8小田切秀雄研究 共著 平成13年 10月 菁柿堂
小田切秀雄小考
9中西伊之助著『戯曲 武左衛門一揆』「解説」(新・プロレ タリア文学精選集6) 共著 平成16年 6月 ゆまに書房
10松永健哉著『民族の母』 「解説」共著 平成16年10月    ゆまに書房    11  貧困・格差への怒り 共著 平成20年3 月 冬至書房 小林多喜二の『防雪林』

論文*    

1 関東大震火災と文学 ー 震災テロルとプロレタリア文学ー ○ 昭和54年 6月 『日本文学』 日本文学協会 第28巻第6 P75-96

2 平林初之輔試論ー震災前 後の平林の動向ー ○ 昭和55年11月 『日本文学』 日本文学協会 第29巻第11
P41-52

3 多喜二と田口タキーその愛をめぐっての一試論ー ○ 昭和56年 4月『日本文学』 日本文学協会 第30巻第4P64-77

4 小島勗論ノート ○ 昭和56年7月 『日本文学』 日本文学協会第30巻第7 P98-114

5 外地移住者としての多喜二ー屈辱感からの脱出ー ○ 昭和57年3月 『日本文学』日本文学協会 第31巻第3 P76-86
6 日中戦争期の火野葦平ー兵隊三部作を中心としてー ○ 昭和58年 『日本文学』 1月、3 月 日本文学協会第32巻第1、3 P29-36 P18-25
7 『こころ』の授業 ○ 昭和59年8月 『日本文学』 日本文学協会 第33巻第8 P40-50

8 宮崎夢柳論ー『鬼啾啾』を中心としてー 昭和59年10月 1号 『近代文学研究』 日文協近代部会 P15-27
9 『党生活者』論ー異常空間からのメッセージー ○ 昭和61年10月 『日本文学』日本文学協会 第35巻 第10号 P33-45
10 「淫売婦」の世界 昭和62年8月 『 近代文学研究4号 日文協近部会 P22-53
11 プロレタリア文学研究への一視点 ー「思想、倫理の解釈」学からの脱出をめざしてー 昭和62年12月 『日本文学』日本文学協会第 36巻第12号P64-65
12 プロレタリア文学研究への一視座 昭和63年5月『文学時標』文学時標社
13 研究動向ー青野季吉 昭和63年8月 『昭和文学研究』 第17集 昭和文学会 P92-95
14 「空想家とシナリオ」論 ー戦中期の〈虚構〉の苦 悩ー 昭和63年8月 『近代文学研究 第5日文協近代部会
号 P19-34
15 「セメント樽の中の手紙」 論 ○ 昭和63年10月『日本文学』日 本文学協会 第37巻第10 P26-35

16 浮遊する主体の方向 ー「皮膚」「肉体」の発見と しての「上海」ー ○ 平成元 年1月 『日本文学』日本文学協会第
38巻第1号 P57-71
17 「ひかりごけ」論ー〈天皇制下の食人劇〉の行方ー 平成2年10 月『近代文学研究』
7号日文協近代部会 P39-54
18 踊子の〈闇〉への封印ー「伊豆の踊子」論 平成4年3月 『日本文学誌要』45号 法政国文学会P53-68
19 「深夜の酒宴」論 ○ 平成5年2月 『昭和文学研究』26集 昭和文学会P90-100
20 「書かれざる一章」論 ○ 平成5年4月 『近代文学研究』10号 日文協近代部会P17-27
21 「宙に浮くK像への批評」ー「こゝろ」論ノート ○ 平成5 年5月 『日本文学』日本文学協会42巻第5号P76-84
22 「自我幻想の裁き」 ー「山月記」論ー ○ 平成5年 10  『国語と国文学 東大国語国文学 第70巻第10P42-54
23 主体性と他者ーー終戦直後の文学論争と現在の〈日本〉ーー ○ 平成7年 11月 『日本文学』日本文学協会 第44巻第11号 P22-34
24 「羅生門」論ーー老婆の視座からー ○ 平成8年2月 『日本文学』 日本文学協会 第45巻第2号 P29-41
25 教材としての「檸檬」 平成8年3月 『教育紀要』7号 錦城学園 P7-26
26 『白痴』論 平成9 年7月『日本文学誌要』56号 法政国文学会 P12-25
27 農場という空間ーー「カインの末裔」論 ○ 平成9年 12月 『近代文学研究』 第15号 日文協近代部会 P25-3
28 孤独の差異を生きる男と女の物語--「雪国」論 平成10年5 月 『国語教育研究 創刊号 錦城学
園国語科有志 P66-80
29 自我の複数性と近代文学史の転換ー「文学・関係学」試論その一 平成13 年10月 同人雑誌『試想 創刊号 p54-70
30 「帝国」意識と文学 平成14年3月 『日本文学誌要』第65号 法政大学国文会p15-27
31 「村の家」論 ー「帝国」の文化の「罠」あるいは〈個人〉誕生の物語- ○ 平成14 年5 月 『近代文学研究 第19号 P37ー54


32、転向論のための素描 平成15年2 月同人雑誌『試想』第2号 P1ー16
33、関係の劇を読むとはどういうことか 平成15年2月 同人雑誌『試想』第2号P72ー85
34、意識の劇から関係の劇へ ○ 平成15年1月 『社会文学』第18号 日本社会文学会、P 6ー107
35、ファシズムと文学-〈いま・ここ〉の豊かな関係性 の構築をめざして- 平成16年8月『試想』第3号
P41ー55
36、武者小路実篤と「新 しき村」 平成17年6 月 宮崎大学地域文化研究会月報第5号

37、新しい読みの技法ーー 二項対立的思考から多項選択的思考へーー 平成17年11月『試想』第4号 P42-57
38、「ヴィヨンの妻」論 ○ 平成18年3月 『近代文学研究』第23号 P17-31
39、森鴎外『安井夫人』小考 平成18年3 月 『地域文化研究 第1号 P45-54
40、日向「新しき村」の今日的意味 平成18年3月 宮崎大学教育文化学部「みやざき学」同研究チーム 研究報告書
41、漱石、鴎外そして文学研究ーーポストモダンへ の道
平成19年 3月『試想』第5号P68-89
42、「走れメロス」の世界ーー今日的な教材の可能性を求めてーー 平成 19 年5月 宮崎大学教育文化学部教育学研究科平成18年度 現職教員研セミナー報 書』P11-15
43、「山路を登りながら、こう考えた。」漱石「草枕二百十日」発表100年記念連続講演会講演録 平成19年8月 漱石「草枕二百十日」発表 100年記念事業実行委員会 P80-97
44「大造爺さんと雁」論ーー新しい教材としての可 能性を求めてーー 平成20年 5月『地域文化研究』2号 宮崎 域文化研究会 P21-30
45、『破戒』をどう読むか 平成20年6月 『試想』第6
P1-36
46、「走れメロス」論ーー「赤面」するメロスと少女の緋マントの意味ーー 平成20 年6月 『試想』第6 P88-102
47太宰治「碧眼托鉢」 平成21年 6月『太宰治研究第 17 号P 242-249和泉書院
48「文学的価値=〈関係の豊かさ〉」論覚書ーー読みをめぐる原理論的問いかけー」 平成22年 7月 『試想』第7 P53-68

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